平成徒然草

つれづれなるままに、感じたことを書くブログです。

iPhoneはもう終わった。

iPhoneは5で終わった。

6以降はゴミ屑同然だ。

あんなデカくて手に収まりの悪い機械のどこが良いのだろう。

ジョブズが6以降を見たら大激怒して、水槽に放り投げただろう。

そういう意味で、5と同形のSEは良い。

しかし、SEは電池の消耗が早い。

だから、SEのバッテリーを強化したSE2を早く出して欲しい。

でも、そんな話はいっこうに出ない。

出るのはiPhoneまがいのデカイiPhoneにどうでもいい機能を追加した、クドイ新モデルばかりだ。

感性のなくなったアップル。ダサくなったiPhone

アップルの終焉はもうすでに始まっている。

こんなことなら、はやくなくなればいい。

狂気

あー。もうなんかイライラする。

また電車が遅れている。

予定があるのに。

電車は満員。

駅につくたびに人が入ってくる。

花粉症でくしゃみが出る。

あー。イライラする。

まじでイライラする。

でも大人はきちんとしなければならない。

大人しく電車に乗っていなければならない。

叫びたい。心の底から激しく叫び狂いたい。

この中の何人が俺より大事なことのために、この電車に乗ってくるんだろう。

 

 

薄っぺらい人間。

なんて薄っぺらい人間なんだろう。

今まで何かに対して、真剣に打ち込んだことも取り組んだこともない。

40歳を目前に、一体自分は何のために生きてきたのかに絶望する。

でも待てよ。絶望というのは人との比較から起こるんだ。この世に自分しかいなければ、絶望しなくて良いのかもしれない。

それにしてもだ、それにしても薄っぺらい。小学校6年生の頃を思い出す。

当時の僕は、こんな薄っぺらいことになると、想像していただろうか。

天井を眺めながら、今日も二度と戻らない過去を考えないようにしている。

ちゅーしょーきぎょーに絶望する

ちゅーしょーきぎょーで働いている。

零細企業といった方が良いかもしれない。

先輩後輩が変わらないから、そこでの人間関係がモノを言う。

人間関係に歪みがいけば、かなりやばいことになる。

僕は人間が嫌いだ。できれば布団に潜って、ずっと携帯をいじっていたい。

そんな人間が、うまく人と付き合えるわけもなく。今日も絶望しながら、ちゅーしょーきぎょーで働いている。

ムンクの叫びに思うこと。

ムンクの叫びと言う作品がある。

 

この前東京都美術館ムンク展をやっていたので見に行った。

 

あの作品を見て思ったのは、ムンクが絶望を表現していると言うことである。

ではあの絵でどうやって、絶望を表現してるのか。

 

それは、真ん中の叫んでいるキャラクターではなく、片隅にいる2人の人間との対比によってである。

 

人が絶望するのは、誰かと比べるからである。人は比較によって、その人と比べて自分が劣っていると感じると、絶望を感じる。誰も比較する人がいなければ、絶望することなどないのだと思う。

 

人と比較なんかしなくていい、自分は自分らしくでいいんだなどと言う人はいると思う。でもそんなことができるなら、なぜムンクの叫びは、時代を超えて支持され続けるのだろう。人はいつも誰かを比較して生きている。叫びたくなるほど誰かと比較して生きている。

一生楽して暮らしたい。

一生楽して暮らしたい。一生楽して暮らしたい。どこかからお金が降ってきて、しかも1円とかじゃなくて、10,000円札がいっぱい降ってきて、それをさりげなく拾って、気がつけば1億円位拾ってて、一生遊んで暮らしたい。遊ぶのもめんどくさいから、一生楽して暮らしたい。一生楽して暮らしたい。一生楽して暮らしたい。ああどこかに、楽な仕事はないんだろうか。本を読んでいるだけで、年収10,000,000円の仕事がないんだろうか。年収10,000,000円じゃなくてもいい。年収6,000,000円位でいいから、座ってるだけで、お金がもらえる仕事はないだろうか。そう思って、僕は今日も眠れぬ夜を過ごし、明日からの嫌な仕事に備えるべく、羽毛ぶとんにくるまっている。一生遊んで暮らしたい、遊ぶのめんどくさいから、一生楽して暮らしたい。