最高の表現とは
最高の表現とは、明るさの中に、絶望を併せ持ったものである。
その差が大きければ大きいほど時代を超えて残る。
狂気
あー。もうなんかイライラする。
また電車が遅れている。
予定があるのに。
電車は満員。
駅につくたびに人が入ってくる。
花粉症でくしゃみが出る。
あー。イライラする。
まじでイライラする。
でも大人はきちんとしなければならない。
大人しく電車に乗っていなければならない。
叫びたい。心の底から激しく叫び狂いたい。
この中の何人が俺より大事なことのために、この電車に乗ってくるんだろう。
薄っぺらい人間。
なんて薄っぺらい人間なんだろう。
今まで何かに対して、真剣に打ち込んだことも取り組んだこともない。
40歳を目前に、一体自分は何のために生きてきたのかに絶望する。
でも待てよ。絶望というのは人との比較から起こるんだ。この世に自分しかいなければ、絶望しなくて良いのかもしれない。
それにしてもだ、それにしても薄っぺらい。小学校6年生の頃を思い出す。
当時の僕は、こんな薄っぺらいことになると、想像していただろうか。
天井を眺めながら、今日も二度と戻らない過去を考えないようにしている。
ちゅーしょーきぎょーに絶望する
ちゅーしょーきぎょーで働いている。
零細企業といった方が良いかもしれない。
先輩後輩が変わらないから、そこでの人間関係がモノを言う。
人間関係に歪みがいけば、かなりやばいことになる。
僕は人間が嫌いだ。できれば布団に潜って、ずっと携帯をいじっていたい。
そんな人間が、うまく人と付き合えるわけもなく。今日も絶望しながら、ちゅーしょーきぎょーで働いている。
ムンクの叫びに思うこと。
ムンクの叫びと言う作品がある。
あの作品を見て思ったのは、ムンクが絶望を表現していると言うことである。
ではあの絵でどうやって、絶望を表現してるのか。
それは、真ん中の叫んでいるキャラクターではなく、片隅にいる2人の人間との対比によってである。
人が絶望するのは、誰かと比べるからである。人は比較によって、その人と比べて自分が劣っていると感じると、絶望を感じる。誰も比較する人がいなければ、絶望することなどないのだと思う。
人と比較なんかしなくていい、自分は自分らしくでいいんだなどと言う人はいると思う。でもそんなことができるなら、なぜムンクの叫びは、時代を超えて支持され続けるのだろう。人はいつも誰かを比較して生きている。叫びたくなるほど誰かと比較して生きている。
一生楽して暮らしたい。
一生楽して暮らしたい。一生楽して暮らしたい。どこかからお金が降ってきて、しかも1円とかじゃなくて、10,000円札がいっぱい降ってきて、それをさりげなく拾って、気がつけば1億円位拾ってて、一生遊んで暮らしたい。遊ぶのもめんどくさいから、一生楽して暮らしたい。一生楽して暮らしたい。一生楽して暮らしたい。ああどこかに、楽な仕事はないんだろうか。本を読んでいるだけで、年収10,000,000円の仕事がないんだろうか。年収10,000,000円じゃなくてもいい。年収6,000,000円位でいいから、座ってるだけで、お金がもらえる仕事はないだろうか。そう思って、僕は今日も眠れぬ夜を過ごし、明日からの嫌な仕事に備えるべく、羽毛ぶとんにくるまっている。一生遊んで暮らしたい、遊ぶのめんどくさいから、一生楽して暮らしたい。