平成徒然草

つれづれなるままに、感じたことを書くブログです。

序段 つれづれなるままに 

つれづれなるままにブログを書くことにした。

 

日ぐらしパソコンに向かって、心にうつりゆくよしなしごとを、

そこはことなく書き付くることにした。

 

ブログを始めるにあたって、

仕事を通して学んだハウツーとか、為になることを書こうと思った。

ところが、3テーマくらい書いて筆(キーボード)が止まった。

 

そもそも、自分は、怠け者で仕事が大嫌いだ。

本当に嫌いである。本当に。

できれば、何もしないで不労所得を得て、毎日ゴロゴロして暮らしたい。

本気でそう思ってる。本気で本気。

 

満員電車が大嫌いだ。営業が大嫌いだ。人に愛想を振りまくのが大嫌いだ。

そう思いながら、満員電車に乗り、営業職を10年以上やり、人に愛想を振りまいて生きている。こんなんじゃ自律神経も壊れるよ。

 

そんな私が、えらそーに仕事の能書きを並べたところで、

すぐ、行き詰まるに決まっている。

 

そんなとき、吉田兼好の事を思い出した。

 

彼の書いた『徒然草』は今に読み継がれている古典の名作である。

なぜ『徒然草』は700年以上を経て現代に読み継がれているのか。

その理由は分からないが、一つだけわかっていることがある。

それは『徒然草』が「随筆」だということだ。

 

随筆か・・・。

 

それなら、自分もブログで「随筆」を書いてみよう。

そしたら大当たりして、アドセンス収入を得て、不労所得が毎月入って、働かなくなって、吉田兼好みたいに、ひぐらし硯に向かえるかもしれない。

 

そんな根拠のない自信が沸いてきた。

 

吉田兼好は『徒然草』の序段をこの様に締めくくっている。

「あやしうこそ物狂ほしけれ」

 

そう・・・狂っている。これが随筆を書く唯一のコツかも知れない。

 

そういえば、マツコ会議で、マツコデラックスがこんなことを言っていた。

「ひとことでいうと狂っている。冷静な判断や客観視しすぎる目があり過ぎると、迷ってダメなんだよね」

 

吉田兼好と同じことを言っていると思った。

 

「あやしうこそ物狂ほしけれ!ロッケンロー!」

 

冷静さなんていらない。メタ認知(客観視)もいらない。

とにかく思っていることを、周りの事なんか一切気にせずに狂ったように書く。

これが随筆の極意であると。

 

吉田兼好は今風に言えば、ブロガーだったと思う。

本人は、他人に読んでもらおうとか、そんな気があったかは知らないが、

700年も文章が生き残っているなんて、奇跡だ。

 

と・・・ところでこの文章。どう締めくくればよいのだろう。

 

本日、平成の終わりに平成徒然草を始めることにした。

自分の狂ってる部分を書いていきます。